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<超高齢社会×丸川珠代>
#7-1丸川珠代先生が東京オリンピック・パラリンピックを語る

社会保険がどう変わっていくべきかを考えて飛び込んだ政治の世界

(※この対談は2020年1月25日に収録されました)

山本 山本拓真の超高齢社会にイノベーションを巻き起こせ。
本日のゲストは元環境大臣、元東京オリンピック・パラリンピック担当大臣の参議院議員丸川珠代先生にお越しいただきました。先生今日はよろしくお願いいたします。

丸川 よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

山本 ではまず丸川先生、自己紹介をお願いいたします。

丸川 東京都選挙区にして参議院議員が今もう13年目になります。丸川珠代でございます。もう拓真社長と何年ぐらい…結構長いですよね。

山本 そうですね、お世話になっていて、ありがとうございます。

丸川 こちらこそお世話になっております。
社会保障制度調査会の介護委員会の事務局長をやらせていただくようになりましたけども、ずっと医療・介護・社会保障の分野に関わって仕事をしてきました。元々私の父親も母親も医者で、医療がとっても身近なところにあって、しかも勤務医をやっていた時代もあるし、町のお医者さんをやっていた時代もあるし、患者さんとお医者さんがどんな風に接して、患者さんとしての自分だったり、お医者さんとしての親だったりが、どんなことを思って人の生き死にや医療という人の命を助けることを考えているか、というのをとっても身近に思ってきたので、政治家の仕事をするんだったらもう絶対社会保障の仕事だと思ってきました。
一方で、医者にならなかったわけですね。(笑)

山本 そうですね。(笑)

丸川 母親の時代の女医さんって、とても大変だったそうなんです。うちの母も結局産休もろくになくて、当然育休はないので、私1歳の時はおばあちゃんに1年半ぐらい預けられていたんですよね。

山本 そうなんですね、おばあちゃん子だったんですね。

丸川 そう。(笑)しかも母と離れて、母はその時神戸に居ましたので。東京で1年半ぐらいおばあちゃんに育てられたということで、そういう経験をしたこともあったのか、母が「医師は厳しいからやめなさい」と言って。何故かアナウンサーになり、その後政治家になったんです。
うちは一人親ということもあるので、ずっと女の人が一人で働いて生きていくのはどういう大変さがあるかということを見てきて、親の役を両方やらなきゃいけない大変さだったり、その親が老いていく先を、長女である私がどう支えていくのかということがいつも私の課題だったんですね。今でこそ女性が働くことを政治が支えるし、長い老後を生きていく時にお一人様もたくさんいるということが前提になりつつありますよね。

山本 そうですね、そういう風に社会が変わってきましたね。

丸川 ところが私が幼い頃の社会は、家族というのはモデル世帯『両親揃って子供が2人で、おじいちゃんおばあちゃんがそばにいて』これがなければ逆に社会保障が成り立たない社会だったと思うんです。その前提がちょうど崩れ始めてきた時に「いやぁ日本はこのままだと私という1人の人間が、1人親であるうちの母を支えきれないんじゃないか」という問題意識をとっても強く持っていたので、ちょうどその社会の変化に合わせるような形で、どう社会保障が変わっていくべきかっていうことを思って政治に飛び込んだんですよね。

山本 そうなんですね。先生は厚生労働委員長をやっていらっしゃったので私としては厚生労働族のイメージがあるんですけれども、世間の方は環境大臣とか東京オリンピック・パラリンピック担当大臣のイメージがあるのでは。

丸川 そうかも知れませんね。

山本 ご両親がお医者様とか、厚生労働面にすごくお詳しいこと自体を知らない方が多いんじゃないかなと思うんですけれども。相当お詳しいのでいつも勉強させていただいております。

丸川 そんなことないです。(笑) ありがとうございます。
皆さんにはオリンピック・パラリンピックのイメージがお強いんじゃないかなと思います 。

山本 そうですね。今日は色々、その辺もお聞かせください。

丸川 是非是非、ありがとうございます。

丸川 是非よろしくお願いします。

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