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坂井直樹

<超高齢社会×デザイン>
#1-1世界的コンセプター坂井直樹さん

坂井直樹さんのこれまで

山本 坂井直樹さんといえば非常にたくさんの商品を世に出してこられたコンセプター・デザイナーとして世界で活躍をしていらっしゃるわけですけれども、どのようなお仕事をされてこられたかなどをお話しいただければと思います。よろしくお願いいたします。

坂井 遡ると19歳から40歳ぐらいまではファッション。このことはほとんどの方はあんまりよく知らないです。40歳の時にたまたま Be-1という自動車の依頼があって、まだ名前はなかったんですけどマーチの新しいタイプのデザインを頼まれた。僕はファッションなのに、しかもカーデザインの勉強をしたことがない・免許もないという状態で、日産の森さんという本部長がなぜかいくつかのコンペティターの中で僕を選んだのです。なかなか面白い選び方です。

山本 ファッションから車の方(のデザイン)に行かれたと。

坂井 普通は実績がない限り頼まないでしょ?そこを乗り越えた、その当時の日産は面白いチームでした。あとはいろんなプロダクトをやって。数で言うと情報通信と当時言っていましたけど、携帯電話が最も多くて200〜300個やったと思います。

山本 200〜300個!?
iPhoneが出る前の日本の携帯のデザインに関わっていらっしゃった。

坂井 2005年から7年。2007年にたぶんiPhoneが来てるので、それまでは au のデザイン携帯、要するに採点のつけようがなかったんです。コンペティターに対して。じゃあデザインで成果を計ろうということになって、僕がau全体の携帯を見ていた時に iPhone が登場して、もうプラスチックをいじっていても誰も喜んでくれない。エレガントなUIとiTunesのようなサービスが入らない限り、新しい携帯は勝てないということがわかっていた。その後に5年間ほど慶應義塾大学の学生にデザインを教えるという極めて実験的な教育の仕組みを作ったんですね。
で、今に至る。
今は中国とエストニアとアメリカとヨーロッパをふらふら遊び回っている。

日本でテレビを見ると、すごくローカルな感じがする

山本 世界を飛び回って世界中のグローバルの中で、日本らしさを含め橋渡しをしていらっしゃるということでしょうか。

坂井 そうですね。ただ本当に今冗談で言ったのですが、遊ぶということも意外と大事。色んなことを学びますよね。

山本 私もシリコンバレーとか深圳(シンセン)などに行くことがありますが、本当にもう国々で違うなというのもありますし、スピード感もあって面白いことをどんどんやっていて、行くと刺激をもらって日本に帰ってきてまたそれを活かして、という意味では仕事も遊びも真剣に色んな事をやるというのは非常に重要なことですね。

坂井 日本に戻った時にちょっと萎えませんか。

山本 私はベンチャー社長の友達が多いので、どちらかと言うとみんなで盛り上がって。

坂井 刺激をもらうんだ。

山本 そうですね、その刺激について話し合っているというのは多いです。

坂井  僕は日本に帰ってテレビを見ると、ものすごくローカルな感じがする。

山本 グローバルを知る坂井さんだからこそ。

坂井 全世界からみたら大した事象じゃないんじゃないかと。

山本 日本にとっては大きな事象かもしれないですが。

坂井 ヨーロッパとかに行くとBBCの放送する話題はどこでもあるじゃないですか。見ているとやっぱり報道の考え方が違うのでしょうね。国際的にどうなるのかということを彼らは睨んで話をするし。あんなにひどい熱波の42.5℃のパリにいても、今日何人死んだみたいなことは一切出てこないですからね。絶対に死んでいると思うのですけど、それはもう大勢に影響ないと。まあ言い方は人命に対しておかしいですけど。 ニュースとしてもっと重要なことがあるということだと思うのです。

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